私が病気を患い気付かされた事

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私の両親はとても優しく、小さい頃から私のしたい事を自由にさせてくれていました。

それが自分自身をつけあがらせ、自分が何より1番だと、自己中心な生活となったと自覚しています。

まだ挫折や苦痛を感じた事のない青春時代、自分の感情に素直だった事もあり特に自分が中心で物事を考えていました。

周りは好きな人、友人だけに囲まれ毎日が楽しく何でも思うようになる、どんな未来も作っていけると思っていました。

初めての挫折

初めて私が自分ではどうしようもなく、ある挫折を味わったのは、子宮頸がんを患った時でした。

ステージが進行しており、手術をして子宮の一部を切除しなくてはならないと聞かされたとき、キラキラしていた毎日から、一気に真っ暗な世界に突き落とされました。

何故自分が癌になるの?どうして私なの?あの子じゃないの?私は癌になるような人じゃ、人生じゃないのに、と思い最悪な貧乏くじを引いたような気分でした。

ある女性の言葉

病院である女性と出会いました。

その女性に病気を知った今、健康で無病の身体を羨ましく思っているが、今まで健康であることに一度でも感謝をしたことがあるかと問われました。

私は何故今生きているのか、それは両親が命を繋いでくれたから、その両親はまた両親の父、母から命を繋いでくれたから、先祖が繋いでくれているから今命がある。

私は生きているのではない、生かされているのだ、と気づきました。

「受け継いだ命は、自分だけのものではなく、今からでも遅くはない、自分は生かされているのだと、病気を患ったとしても生かされているのだと、命をありがたく感じなさい、そして両親に感謝をしなさい。」

それを聞き、ただただ辛いと思っていた気持ちが救われて軽くなりました。

心情の変化

病気を患い、初めて心から辛い苦い経験をし、またその女性に出会ったことをきっかけに、自分の考え方が変わり始めました。

1番の変化は、自分中心で生きているという考えや行動が、すっかり抜け、変わった事でした。

自分は生かされているのだと思うことで、今日1日が事故や災難に遭わず、無事に過ごせられたことが、当たり前ではなく、ありがたいことだと思えるようになりました。

ありがたいことだと思えると、ありがとう、と感謝の気持ちを言葉に出して伝えたくなりまし。

自宅には仏壇と神棚がある。命を与えてくださった神様やご先祖様に、必ず夜寝る前にお手合わせをし、1日の無事をお礼参りするようになったのです。

感謝の気持ちを忘れずに

それからは何でもない様な些細な事に目がとまり、ありがとうと思えるように、そして人に対してありがとうと言えるようになりました。

1日の中でありがたいなと思える事に数多く触れて生活をすると、今まで人を見て羨ましいと思っていたこと、妬ましいと思っていたこと、強欲故に固執していたこと、それが解きほぐされたかのように、どうでもよく思えてきたのです。

たまに気が合わないかなという人はいますが、相反する態度で返すのではなく、受容するという事を知りました。

これからもありがとうという言葉の分だけ、自分自身も周りの人も幸せになれればと思います。

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